行人坂とお七の井戸 目黒区

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目黒不動尊から山門前の商店街を下って、山手通りを渡る。適当に見当をつけて走ると目黒川に出る。上流方向を見ると橋が見える。それが太鼓橋で、渡ればすぐに目黒雅叙園だ。

雅叙園の入口に「お七の井戸」がある。お七とは八百やお七のことだ。

私は落語、講談、古文漢文、歴史がからきしダメで、いろんな話がない交ぜになっていて、この井戸は、ずっとお七が飛び込んだ井戸だと思っていた。

ちゃんと案内板があるのだから読むべきである。

お七の井戸

八百やの娘お七は、恋いこがれた寺小姓吉三あいたさに
自宅に放火し、鈴ヶ森で火刑にされた。
吉三はお七の火刑後僧侶となり、名を西運と改め
明王院に入り、目黒不動と浅草観音の間、
往復十里の道を念仏を唱えつつ隔夜一万日の行をなし遂げた。
明王院という寺院は、現在のホテル雅叙園東京エントランス
付近から庭園に架け1880(明治13)年頃まであった。
この明王院境内の井戸で西運が念仏行にでかける前に
お七の菩提を念じながら、水垢離をとったことから
「お七の井戸」と言い伝えられている。

お七が身投げしたわけじゃない。お七と恋仲だった吉三が僧になって、お七を弔う1万日行に出かける前に水垢離していた井戸だった。1万日は27年以上かかる。敬意を表しているのだ。だいたい身投げした不吉な井戸など残すわけがない。

雅叙園の前から行人坂が始まる。登り切ると目黒駅前だ。上の方が勾配がきつい。

「行人」と聞くと、いつも明治の文学的な感じを受けるのは、高校生の頃読んだ夏目漱石の行人の影響だ。もっともあちらは「こうじん」だったが。

ホテル雅叙園東京が設置した行人坂の立派な案内板があった。

行人坂

行人坂の由来は大円寺にまつわるもので、
1624(寛永年間)このあたりに巣食う、
住民を苦しめている不良のやからを放逐する為に、
徳川家は奥州(湯殿山)から
高僧行人「大海法師」を勧請して、開山した。
その後不良のやからを一掃した功で、
「大円寺」の寺号を与えられた。
当時この寺に「行人」が多く住んでいた為、
いつとはなしに江戸市中に通じるこの坂道は
行人坂と呼ばれるようになった。

行人(ぎょうにん)とは、ウイキペディアで調べてみると、僧の身分のことだった。えらくない人を指す。

本来は修行者の意味があり、山伏などの修験者も含まれているが、寺院内部においては施設の管理や花・灯りの準備、炊事・給仕など専ら世俗的あるいは実務的な業務にあたる身分を指した。出典:行人 (仏教)

地図などはこちら。

行人坂
★★★★☆ · 史跡 · 下目黒8

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