金蔵院 目黒区

久しく通らなかった道を歩いた時に思い出した。ちょうど八雲学園中高の隣にある。金蔵院(こんぞういん)という真言宗のお寺だ。

ここに来るのは何年ぶりだろう?10年、いやもっとだろうか?

場所は、八雲氷川神社の本殿の隣だ。境内は小さい。

目黒区みどりの散歩道の看板があった。

由来が書かれていた。

金蔵院(こんぞういん)

氷川山虚空蔵寺(ひかわさんこくぞうじ)金蔵院は真言宗の寺で、慶長5年(1600)頃に頼栄上人によって創建されたと伝えられています。

古い記録としては享保年間(1716~1736)に俊海法師が本堂を建て直したことが残っています。もとは隣接の氷川神社の別当寺で、明治7年(1874)に、一旦は無住廃寺となりましたが、明治16年に再興され、玉川八十八ヶ所霊場の第五十三番札所になっています。

本尊の大日如来像と脇侍の「木造不動明王及び両童子立像」(区指定有形文化財)が本堂に安置されています。

不動明王像は寄木造で像高74.5cm、足元には各々岩座に立った白色の矜羯羅童子(こんがらどうじ)と赤色の制多迦童子(せいたかどうじ)を従えています。

不動明王像の頭部内から発見された11枚の文書により、像の作者は不明ながら、応仁2年(1468)に大和国山辺郡・広瀬群のあたりで造立されたことや、造立された目的などが明らかになりました。

明治4年、境内の建物を使用して目黒区内で初めての学校が創立されました。この学校は後の目黒区立八雲小学校(八雲小学校としての創立は明治7年)で、目黒区で一番古い小学校の誕生の地でもあります。

平成22年3月

目黒区教育委員会

地図を見ると、金蔵院と八雲氷川神社と目黒区立八雲小学校の土地が一つだっただろうなということが分かる。

別当寺とはなんだろうと思って調べてみた。ウイキペディアにこのように書かれていた。

別当寺(べっとうじ)とは、専ら神仏習合が行われていた江戸時代以前に、神社を管理するために置かれた寺のこと。

神前読経など神社の祭祀を仏式で行い、その主催者を別当(社僧の長のこと)と呼んだことから、別当の居る寺を別当寺と称した。

別当とは、すなわち「別に当たる」であり、本来の意味は、「別に本職にあるものが他の職をも兼務する」という意味であり、「寺務を司る官職」である。

別当寺は、本地垂迹説により、神社の祭神が仏の権現であるとされた神仏習合の時代に、「神社はすなわち寺である」とされ、神社の境内に僧坊が置かれて渾然一体となっていた。神仏習合の時代から明治維新に至るまでは、神社で最も権力があったのは別当であり、宮司はその下に置かれた。

どうやら隣の八雲氷川神社よりこちらの方が偉かったようだ。

本地垂迹説というのも分からないので同じように調べた。

本地垂迹(ほんじすいじゃく)とは、仏教が興隆した時代に発生した神仏習合思想の一つで、日本の八百万の神々は、実は様々な仏(菩薩や天部なども含む)が化身として日本の地に現れた権現(ごんげん)であるとする考えである。

さらに権現について。

権現(ごんげん)は、日本の神の神号の一つ。日本の神々を仏教の仏や菩薩が仮の姿で現れたものとする本地垂迹思想による神号である。

権という文字は「権大納言」などと同じく「臨時の」「仮の」という意味で、仏が「仮に」神の形を取って「現れた」ことを示す。

なるほど。権現は、仮に現れた姿だったのか。

お大師さまの像もあった。「南無大師遍照金剛」

ここは本堂の敷地は狭いくらいなのだが、隣にこのように小さな砂利を敷いた広い場所もある。もともとは何か建物があったのかもしれない。

東京都目黒区八雲2丁目4−26

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