多摩川にかかる一番最後の橋、大師橋のそばに羽田神社がある。ひっきりなしに大型車が通る道なので、静かとはいえない。
また、緑の木々が乏しいので、鳥居の中に入ってかなり奥まで進まないと神社らしい雰囲気が味わえないのが少し残念なところ。木が少ないと空気が乾いた感じになる。
公式サイトがあった。
左を見ると大師橋が見える。というよりもすぐ近くにある。
境内に入り、手水を使おうとするとこちらは牛さんなのだ。その理由は御由緒を読むとわかる。
まずは拝殿でごあいさつ。このあたりまで来ると清浄な雰囲気がする。
羽田神社でもらったパンフレットから。羽田空港に近い神社なので航空会社の方が多数参拝されるようだ。
御祭神
須佐之男命(スサノオノミコト)
稲田姫命(イナダヒメノミコト)
由緒
羽田総鎮守・羽田神社は、羽田の「氏神様」として羽田全域から現羽田空港まで広く氏子を有しています。
殊に航空会社各社の崇敬の念も篤く、正月から年間を通じて運航安全・航空安全祈願の参詣があります。また、文久元年(1861年)に疱瘡(天然痘)が蔓延。
時の将軍・徳川家定が病気平癒祈願に参詣し治癒した故事により、病気平癒を祈願する参拝者も多くいらっしゃいます。
ご祭神は「須佐之男命(スサノオノミコト)」とその妻、「稲田姫命(イナダヒメノミコト)」の二柱・ご夫妻の神様をお祀りしており「えんむすび」「勝負事」のご神徳でも知られます。
その由来は、約800年前の鎌倉時代、羽田浦の水軍で領主だった行方与次郎(ナメカタヨジロウ)が牛頭天王(ゴズテンノウ)を祀ったのがその起こりとされています。
徳川時代には、徳川家、島津家、藤堂家などに厚く信仰されました。明治元年(1869年)の神仏分離令により、自性院境内に祀られていた牛頭天王社は八雲神社(ヤグモジンジャ)として独立、明治40年に羽田神社と改称されました。
昭和63年5月、新社殿が竣工、平成18年3月御塗り替え工事終了。尚一層の神威が深まり霊験あらたかな御社として氏子を見守っています。
この神社の特徴は、拝殿左にある富士塚だ。ここだけ木がたくさん植えられうっそうとしている。
説明があった。
大田区文化財
富士塚(ふじづか)
富士塚は、富士山の信仰団体である富士講の議員たちが、実際の富士山に登れない者のために、富士山を模して築いた人工の小山である。
この塚は、大田区で唯一の存在で、俗に「羽田富士」と呼ばれ、明治初年に築造されたと伝えられる。
富士講の人々が富士山に見立てた富士塚を登詣する習俗は、江戸中期の安永(一七七二~一七八〇)の頃から、関東を中心にして各地に起こったといわれる。
羽田ではこの習俗が昭和五〇年代頃まで、毎年七月一日の山開きに行われていた。
昭和四十九年二月二日指定
大田区教育委員会
残念ながらいまは富士塚には登れませんでした。
これもパンフレットに書いてあったのだが。
祭事
羽田神社夏季例大祭、通称「羽田まつり」は神輿の担ぎ手だけで3千人、3万人の見物客が訪れ、城南随一の賑わいの祭りです。(中略)
氏子である羽田空港からは全日空・日本航空の客室乗務員等合わせて数10名のボランティアを迎え「飲み物・団扇」などの配布サービスを行いパレードに華を添えます。
これが普通のお祭りとは違うところで。実際に検索してみると、確かにきれいなお姉さんたちが団扇を配っていた。
夏季例大祭は7月最終土日曜日だそうだ。
東京都大田区本羽田3丁目9−12
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