環七の龍雲寺信号から入ればすぐにわかる。立派な山門がある龍泉寺。
山門には大澤山と書かれた扁額がかかっていた。
臨済宗龍雲禅寺と書かれている。臨済宗のお寺だ。公式サイトもある。
山門を入ると左に鐘楼があった。
境内は石畳になっていてとてもきれいに手入れされている。多分、30年くらい前に1度来たことがあると思うのだが、記憶が定かではない。
左手にはお地蔵さんと呼んでよいのか?
正面に一期一会と書かれた石柱がある。
右手の方に歩いて行くとコンクリート造りの本堂があった。何となくなのだが禅宗のお寺の造りは似ているように感じる。
こちらは龍雲禅寺と書かれていた。
せたがや社寺と史跡(その一)にはこのように書かれていた。
竜雲寺
臨済宗妙心寺派に属し妙心寺の末,大沢山竜雲寺という。
当寺は環状7号線の沿線にあったが,昭和40年約200m程奥の当番地へ移築移転した。建物は鉄筋コンクリート平屋建,本堂109.25坪,書院58.03坪,庫裡54.14坪,山門10.45坪鐘楼7坪がある。
この寺は元禄12年(1699)大法正眼国師鑑珪大和尚の法嗣節外大和尚(特賜大慈妙応禅師)が旧野沢1~51(旭小学校敷地内)に30町歩の寺領を有する大沢山竜雲寺を建て盤珪国師作聖観世音菩薩・八臂弁財天の二仏を安置し住民の信仰の中心とした。
元禄16年9月霊源大和尚(勅謚正偏知覚禅師)は諸堂伽藍を完成したが,安政2年(1855)10月の大地震のため伽藍は大破し,翌安政3年同町3丁目40番地へ移転した。当時無住のため復興ははかどらず記録はことごとく紛失して荒廃に帰したが,明治38年3月当時の和尚により本堂を建て大正3年3月山門を改築,昭和2年11月書院を増築した。その後町の発展により現在地に移転した。
「新編武蔵国風土記稿」によれば「抱地四丁四方許,小名中丸ノ北ニアリ,臨済宗京都妙心寺ノ末大沢山ト号ス,開闢ノ来由ヲタヅヌルニ,昔下馬引沢ニ智見寺トイヘル廃寺ノアリシニ江戸麻布光林寺ノ三世霊源蔭和尚年老テソコニ隠居セリ,本堂七間ニ五間南向本尊如意輪観音坐像木仏一尺許,麻布光林寺開山鑁慶和尚ノ作ヲ安ゼリ,門南向両柱ノ間九尺鐘楼門ヲ入ッテ右ニアリ,九尺四方,鐘ノワタリ二尺五寸許,長四尺余,銘文考証ニ用ナケレバトラズ,地蔵堂,本堂ニ向イ右ニアリ,二間四方南向地蔵菩薩木仏立像長二尺五寸恵心僧都ノ作ナリト云」とある。
この通り、歩くところは全て石畳が敷いてある。
境内社があり、こちらは榛名神社と三峯神社。
榛名神社があるとは。
その隣には稲荷社があった。
東京都世田谷区野沢3丁目38−1
地図などはこちら。
コメント