最勝寺 (目青不動尊) 世田谷区

三軒茶屋のシンボルは、キャロットタワーだ。1996年に完成したそうだ。いつだったかすっかり忘れていた。恵比寿ガーデンプレイスができた少し後だろう。キャロットタワーは最上階が無料で公開されている。

三軒茶屋近くにいるときは、見上げるといつでもキャロットタワーが見える。

キャロットタワーには東急世田谷線の三軒茶屋駅がある。この線はいわゆる路面電車(チンチン電車)である。朝のラッシュ時間さえ関係なかったら、沿線に住んでみたい。

その三軒茶屋駅のすぐそばに最勝寺がある。ここは目青不動尊として知られている。目黒不動尊よりはだいぶ敷地は小さいが、なかなか雰囲気がある。目黒不動尊と同じ、天台宗のお寺だ。

この門から入った突き当たりが不動堂である。

本堂手前右に小さい門があるが、そこに案内板があった。

竹園山最勝寺教学院(天台宗)

本寺は慶長九年(一六〇四)玄応(げんのう)和尚の開基(かいき)により江戸城内紅葉山に建てられたという。後、明治四十一年(一九〇八)青山からこの地にうつされた。

本尊は阿弥陀如来で恵心僧都(えしんそうず)の作と伝えられる。また、不動堂の目青不動尊は東都五色不動(五眼不動)の一つとして有名である。

境内には相州小田原城主大久保家歴代の墓、南画家岡本秋暉、その子書家岡本碧巌等名家の墓がある。

昭和五十一年三月

世田谷区教育委員会

境内に説明してくれる看板はこれしかない。目黒区の方がもっと親切だな。

不動堂を撮ったが屋根が完全に白飛びしてしまった。これはあとで撮り直しに行こう。

境内は案外広い。

寺務所の前には大きな木がある。

そこから先、奥まで歩くとこちらが本堂だ。窓の感じが、ちょっと中華風ではある。

せたがや社寺と史跡1に詳しく書かれていた。

教学院(目青不動)

教学院は竹園教学院最勝寺という。慶長9年(1604)玄応大和尚の開基になり江戸城内紅葉山にあったが,後赤坂三分坂に移転した。更に寛永8年(1631),第5世法印岸能大和尚のとき青山南町4丁目に移ったが,延享年間と宝暦年間の2度の火災で古記録を失い,その間の詳しいことは明らかではない。

元禄年間までは,麹町山王元成琳寺の末寺であったが,貞享4年(1687)旧相州小田原の城主大久保加賀守の菩提寺となって寺運隆盛となり,東叡山輪王寺の直末寺となった。後に大寺の格式となり,叡山延暦寺の末寺となった。

明治41年,第17世権僧正寛葆大和尚の代に,太子堂町の現在地に移転した。本堂に恵心僧都作の阿弥陀如来と聖徳太子の作といわれる聖観音像を安置している。

別堂には不動明王像を安置してあり,これが目青不動尊である。これは目黒不動,目白不動,目赤不動,目黄不動と共に江戸の5色(5眼)不動の一つとして有名である。この像はもと麻布の観行寺の本尊であったが,同寺が廃寺となったので,明治15年青山南町4丁目にあった教学院に移され,青山のお閻魔さまといわれていた。

この像の右脇侍は閻魔大王,左脇侍は奪衣婆が安置されているので,この不動堂は一名閻魔堂ともいわれる。なお,この像の作者は目黒不動尊と同一人といわれている。

梁をよく見ると、狛犬が彫ってある。こちら阿。

そして吽。

このお堂(?)はいつも閉められている。造りはこちらの方が大きいし、しっかりしている。なぜなのか今度お寺の人に聞いてみよう。

もちろん、寺務所からもキャロットタワーはよく見える。

地図などはこちら。

東京都世田谷区太子堂4丁目15−1

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