松陰神社は商店街が元気だ

三軒茶屋から世田谷線に乗って西太子堂、若林の次が松陰神社前。距離は三軒茶屋から2キロくらいだろうか?

若林からも松陰神社前からも、同じくらい、400m程度の距離で松陰神社に着く。松陰神社前で降りると、商店街を歩くので楽しい。

この記事の目次

松陰神社へ参拝

商店街はあとのお楽しみにして松陰神社へ。なかなか立派な敷地だ。奥行きがかなりある。

鳥居の左に説明の看板があった。

松陰先生は、幕末の思想家、教育者で私塾松下村塾を主宰し、明治維新を成遂げた多くの若者を教育しました。しかし、安政の大獄に連座し江戸の伝馬町の獄中にて三十歳の若さで刑死されました。その四年後の文久三年(1863)に、松陰先生の門下生であった高杉晋作、伊藤博文等によって、当時長州毛利藩藩主毛利大膳大夫の所領で大夫山と呼ばれていたこの地に改葬されました。

明治十五年(1882)十一月松陰先生門下の人々が相談し、墓畔に社を築いて先生の御霊を祀り神社が創建されました。

ここはかつて長州藩主の別邸があった場所のようだ。本殿に向かって歩いて行くと遠目にも大きな鏡が見えてくる。

曇りの夕方近くだったのだが、きれいによく写る鏡だった。

おみくじを引いてみたら吉。学問の神様らしいおみくじの文面だった。

蓋し学びの道たる、己が才能をひけらかして人を屈する所以に非ず。人を教育して同じく善に帰せんと欲する所以なり

これが松陰先生の御言葉のようだ。

松下村塾

本殿右には松下村塾を模造したものが設置されている。雨戸を開けて中が見えるようになっていた。雨戸を開けてくれるのは、土日祝日の9時~16時まで。

8畳と10畳ほどの小さな建物だ。

松下村塾(模造)

松陰先生の叔父である長州藩士の玉木文之進が、天保13年(1842)萩に寺子屋を開き、松下村塾の看板をかけたのが、村塾名の起こりです。

玉木氏が公務多忙の為、塾は自然消滅しましたが、その後、久保五郎左衞門(松陰の外叔父)が塾主となり復活し、安政4年(1857)まで引き継ぎました。

更に松陰先生が再投獄されるまで引き継ぎ、さらに玉木氏や兄の杉梅太郎らによって明治25年(1892)頃まで続きました。

松陰先生は、安政2年(1855)26歳の冬に出獄(米艦に乗船を企て投獄されていた)してから、実家である杉家で親戚の子弟らに教育をはじめ、翌年の夏頃には親戚以外の者も通ってくるようになりました。

しだいに塾生が増えたため、安政4年(1857)11月5日には杉家内の小屋を補修した八畳一間の塾舎が完成。松陰先生は塾に起居し、塾生に対し師弟同行の実践的教育を行いました。

さらに塾生が増加して手狭になったので、安政5年(1858)3月、十畳半の増築が行われました。

松陰先生が塾生に教育を施したのは、僅か2年半程でありましたが、薫陶を受けた総勢90名ほどの塾生からは、久坂玄瑞、高杉晋作、山県有朋、品川弥二郎、伊藤博文、野村靖など明治維新を通し近代日本の原動力となった多くの逸材が育っていきました。

当神社にある模造松下村塾は、昭和13年12月に隣接する国士舘校内に松陰先生顕彰のため建築されたものです。

当時、すべての建築材料を萩で集め、東京へ移送して建築され、木材、瓦などは幕末期の毛利藩代官屋敷の古材が使用されました。(現在でも建材の多くは当時のものが残っています。)

その後、昭和16年に国士舘から当神社に寄贈され、境内の鳥居脇へ移築。平成8年に境内整備のため、現在の場所に移築。平成28年には維新150年記念事業の一環として約8ヶ月をかけ保存修繕工事を行いました。

松陰先生の像。

ここが塾生に教える8畳の講義室。

そばに松下村塾での教育の説明がおかれていました。読んでみるとなるほどと思う。

こちらは本殿と鳥居の間におかれていた松陰先生像。

後ろを振り返ると来た時より参拝する人が増えてきた感じだった。なんとなく居心地がよい神社だ。

松陰神社通り商店街

この日は日曜日だったので閉まっているお店が多かった。人通りは少なくはない。松陰神社通り商店街のサイトがあった。

昔は店頭に雑誌をたくさん並べる本屋さんが多かった。今は本屋さんの数も減ったが、このようなスタイルの本屋さんもめったに見かけなくなった。

世田谷線の踏切を越えて、少しあるいた右側におしゃれな古本屋さんがあった。 nostos booksというお店。

そして、お店の右にはこんな魅力的な空間が。左手に明かりがついているのは鳥肉屋さん。実際はもっと暗いのだが、カメラが自動補正をするので明るく写る。その中で入ってみたい飲み屋さんが営業中だった。実にいいなあ。

この商店街は、規模もほどほどで、飲食店もそこそこあり、暮らしたら楽しそうな気がする。

別な日に行ったので追加。昼間明るい時に撮った画像。これは上の画像と反対側から撮った。この場所が何だかとても好きになってしまった。渋いお店ばかり並んでいる。

松陰神社前商店街は、きっと世代交代が活発に行われているのだろう。こうやって看板を外さないところがいいね。サンエス食品店さんは喫茶店になっていた。

三河屋さんという肉屋さんは、インド人(?)らしきお店の人がお店に立っていて、タンドリーチキンも販売中だった。

あとで食べログを探してみるとありました。

口コミを読むと、ご主人はバングラデシュ人であった。なかなかの人気店のようす。

世田谷線がネックになるのは通勤の時だろう。もし、都心の会社で9時始業だと朝は大変だ。中央林間から来る田園都市線は混むので有名だ。それがガマンできれば楽しく暮らせそうな街だと思う。

松陰神社前のパン屋さん

なぜかすごく高評価のパン屋さんが多い。リンク先は食べログ。

ニコラス精養堂さんは昔ながらのパン屋さん。1斤160円の食パンが持つとなかなか重量があって人気らしいです。今度必ず買って、撮って食べてみる。

行って来ました。

なんといっても食パンが1斤160円。あんドーナツ(食べてしまった)、あんパン(食べてしまった)、メロンパン(食べてしまった)を買って500円でお釣りが来た。武蔵小山のこみねさんと同じくらいの価格設定でした。

変わりつつある武蔵小山商店街
久しく武蔵小山商店街にいってなかった。たまにこみねに行ってあんパンでも買ってこようと思って行ってみた。 本店に行ってみたらお店が広くなっていた。前は間口が狭いお店だったが隣のラーメン屋さんが閉店したらしくそれでお店を広げたらしい。 初めて行...

ニコラス食パン

Boulangerie Sudoさんは、食パンを買うのが1ヶ月待ちだそうです。1斤670円。このお店は人気がある。

ル・ブラン さんは、国士舘大学近くにあり、早い時間に行かないとどんどん売り切れになってしまうと書かれていた。

松陰神社前のラーメン屋さん

リンク先は食べログ。

松波ラーメン店さんは古い家屋の1Fを改築した感じのお店。松陰神社前ではダントツで高評価のお店。

松陰神社前の賃貸相場

松陰神社前駅周辺の家賃相場をキャッシュバック賃貸のサイトで調べてみた。条件は駅から徒歩5分以内。近くに国士舘大学があるので、1Rの物件はとても多い。徒歩の範囲をもう少し広げることもできるが、それはご自分でやってみてください。


印象としては、田園都市線の駒沢大学や三軒茶屋に比較すれば安い。

1Rなら3.2万~10.7万
1DKなら5.9万~10万
1LDKなら9.5万~15.8万
2DKなら10.8万~13.9万
2LDKなら11.3万~14.3万
3LDKなら:物件なし

価格コムが運営しているスマイティでも調べてみた。条件は同じく駅から徒歩5分以内。サンエス食品店の看板があった喫茶店がある建物の2Fが2.9万でした。

価格コムも、「今なら、入居した方全員にお祝い金最大10,000円キャッシュバックキャンペーンを実施中です。」だそうです。


1Rなら2.9万~16万
1DKなら5.9万~9.9万
1LDKなら9.5万~15.8万
2DKなら10.8万~12万
2LDKなら9.5万~14.7万
3LDKなら:物件なし

寺社
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