田園調布八幡神社 大田区

駒沢通りを左折して丸子川に沿って多摩川の丸子橋に向かって走ると途中に田園調布八幡神社がある。なんとなく雰囲気がある場所だ。

雪ヶ谷八幡神社が本務社なのだそうだ。サイトがあった。

丸子川はこんな流れだ。たまに鯉が泳いでいるのが見える。神社は丸子川にかかった橋を渡った崖側に建っている。丸子川の崖側は、大きなお家ばかり建っている。

橋のところにある掲示板なのだが、ふと見ると、御由緒はここに貼ってあった。

田園調布 八幡神社

御祭神 誉田別尊(ほむたわけのみこと・応神天皇)

由緒

創建

田園調布八幡神社の創建は鎌倉時代の慶長年間(西暦一二四九~一二五六)と伝えられる。

この時代、鎌倉幕府は執権の北条氏が実権を握り、国内基盤固めを行っていた。各地では武士はもとより村人達も幕府に忠誠を示す意味もあり、源氏の氏神を祀る八幡信仰が盛んで、多くの八幡神社が建てられた。

当時、この村の西側、現在の雙葉学園南側の盆地は篭谷戸(ろうやと・・・今もそう呼ぶ年配者もいる)と呼ばれる入江で、多摩川の水が滔々と打ち寄せる自然の良港であり、物資を運んだ舟が盛んに出入りしていた。

またこの村の高台部分には東より西へ貫いて鎌倉街道が通り、篭谷戸の港に接続していた。港を中心にしてこの一帯には多くの鎌倉武士が駐屯し、鎌倉街道要衝の地となっていた。

そして、この八幡神社の地は港の入口に突き出した台地で、舟の出入りを監視できる重要な場所であった。

鎌倉武士はその重要な場所に祠を建て、八幡神社を勧請した。以来、この八幡神社の地は聖地となり、人々に崇められてきた。

中興

天正十八年(西暦一五九〇)小田原北条氏滅亡後、八王子城主、北条氏照の旧臣、落合某がこの村に庵を結び、主家の冥福を祈った。

そして、寛永年間(西暦一六二四~一六四四)、落合某の孫、落合弥左衛門らによりこの聖地に新たな社殿が創建され、ご神体が祀られた。

江戸時代、この神社は武蔵国荏原郡世田ヶ谷領上沼部村に属し、明治中期の四村合併まで村社であった。

寛政四年(西暦一七九二)には、この村の知行主となった神谷縫之助も氏神とするなど、今日まで常にこの地域の人々の心の拠り所として崇敬されて来たのである。

ここから見上げると結構な急坂だ。

境内に上がると広くはないけれど大切にされている雰囲気を感じる。

こちらの狛犬さんは眼が入れてある。右の「阿」。

左の「吽」。眼が入れてある像はあまり見たことがない。

社務所はあるが、土曜日でも人がいないのでお祭りや特別な時以外は無人なんだろうと思う。

ご挨拶させていただいた。

東京都大田区田園調布5丁目30−16

★★★☆☆ · 神社 · 田園調布5丁目30−16
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