神田明神へ将門様御神札をいただきに 千代田区

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1月も中旬になったが、神田明神に行って来た。今回は目的がある。平将門さんのお札をいただきに行った。1月の3連休、まだまだ人が多い。

以前、九段下の築土神社のすぐそばで働いていたことがあり、毎朝毎晩社殿の前を通って通勤していた。築土神社は平将門さんを祀っている。もちろん、築土神社でもお札はいただけるのだが、ふと、神田明神でいただきたいと思った。

参道はかなり混雑していた。何しろ、有名な麹屋さんが大人気だ。私も麹は好きで定期的に米麹を買っている。甘酒は自作すると加熱殺菌しないからとても体によいらしい。

随神門の前の空間はそれほど広いわけではないが、華やかな感じがする。昔もさぞ賑やかだったんだろうなと思う。

昨年、来た時は工事中だったが、EDOCCO神田明神文化交流館という大きな建物ができていた。中にはホールもあるそうだ。

EDOCCO 神田明神文化交流館
神田明神創建千三百年記念事業 神田明神文化交流館 「EDOCCO」

手水舎は外にある。

随神門の横に御由緒があった。

江戸総鎮守 神田明神

神田神社御由緒

御祭神

一の宮 大己貴命 おおなむちのみこと(だいこく様)
二の宮 少彦名命 すくなひこなのみこと(えびす様)
三の宮 平将門命 たいらのまさかどのみこと(まさかど様)

正式名称・神田神社。東京都心一〇八町会の総氏神様で、神田・日本橋・秋葉原・大手丸の内、そして東京の食を支える市場の発祥の氏神様として、青果市場・魚市場の人々からもあつく崇敬されております。縁結び、商売繁盛、社運隆昌、除災厄除、病気平癒など数多くのご神徳をお持ちの神々です。

当社は天平二年(七三〇)のご創建で、江戸東京の中で最も歴史ある神社のひとつです。はじめは現在の千代田区大手町・将門塚周辺に鎮座していましたが、徳川家康公が江戸に幕府を開き江戸城が拡張された時、江戸城から表鬼門にあたる現在の地へ遷座いたしました。

それ以降、江戸時代を通じて「江戸総鎮守」として幕府から江戸庶民にいたるまで多くの人々の崇敬を受けました。さらに、明治に入り、准勅祭社・東京府社に列格し皇居・東京の守護神と仰がれ、明治天皇も親しくご参拝になられました。

境内には、日本初の本格的な鉄筋コンクリート・総漆朱塗造の御社殿(国指定登録文化財)や総檜造の随神門、神札授与所・参拝者待合室・休憩所を兼ねた鳳凰殿、明神会館・資料館・石造日本一の大きさを誇るだいこく様尊像・江戸国学発祥の地碑・銭形平次の碑などがございます。縁結びのご神徳から神前結婚式も多く行われています。

当社の祭礼・神田祭は二年に一度執り行われ、江戸時代には江戸城内に入り徳川将軍が上覧したため、御用祭とも天下祭とも呼ばれました。また日本三大祭、江戸三大祭のひとつにも数えられております。

現在は鳳輦・神輿をはじめとする江戸時代さながらの祭礼行列が、神田・日本橋・秋葉原・大手丸の内の広大な氏子一〇八町会を巡行する「神幸祭」と、氏子の町神輿約二〇〇基が町を練り歩き、神社へ迫力ある宮入をする「神輿宮入」を中心に賑やかに行われております。

平成十九年春

神田神社社務所

境内に入ると、思ったほどは混雑していなかった。

左を見ると、完成したガラス張りのEDOCCO神田明神文化交流館が。

大きな賽銭箱があった。元旦はさぞかし混雑していただろう。結ばれているおみくじの数がすごい。なんかきれいだ。どうか、よいことがありますように。

本殿に参拝して戻ると、EDOCCO神田明神文化交流館の前で、AKBみたいな格好をした女性2人が獅子舞を披露していた。横笛はとても上手だった。

その後獅子舞の女の子は太鼓を叩き始めたが、こちらもとても上手だった。すごいな。

私は、AKBとか興味はないが、神田明神に関係が深いのかな?

境内のそばには以前に比べて高いマンションが増えたように思う。

平将門さんのお札をいただいていつものように男坂を下りて秋葉原方面へ。

神田明神は公式サイトがあります。

神田明神 東京都千代田区外神田2-16-2
神田明神 公式キャラクターのだいこく様やえびす様まさかど様、ししまい君がナビゲートいたします。毎日の運勢や相性、待受画像や参拝マナーなど楽しいコンテンツが満載。会員登録無料で神田明神コミュニティがあなたの手の中に。LINEスタンプや公式Twitter・facebookも公開。

東京都千代田区外神田2丁目16−2

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