千束八幡神社 大田区

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環七から大岡山商店街を抜け、大岡山駅を通過、東工大の前を大岡山駅東の信号まで戻ってから道なりに坂道を下っていくと、やがて公園らしきものが見えてくる。洗足池公園だ。

以前、自転車でよく中原街道を走っていたので、洗足池がここにあることは知っていたが、寄ったことは確か1回しかない。池といってもずいぶん大きい。

池の西側に千束八幡神社がある。

境内へは石段を上っていく。よく掃除されていて落ち着いた空気が感じられる。社殿は大きくはないが、境内は広く感じる。

まずは手水を使わせていただいく。

社殿まではまた石段がある。

狛犬さんは笑っているように見える。青い馬の絵馬がある。

こちらも。

帰り、石段を下りた左手に御由緒があった。このように立派な石に埋め込まれた金属板に書かれていた。

御由緒

御祭神 品陀和気之命(應神天皇)

當社は千束八幡神社と稱し 平安前期の貞観二年豊前國宇佐八幡を勧請し 往時の千束郷の總鎮守としてこの巒上に創建せされ 今日に至る

遠く千百余年の昔より この地の氏神として尊祟せられ 普く神徳を授けてこらる

承平五年 平将門の乱が起る 朝廷より鎮守副将軍として藤原忠方が派遣せられたり 乱後忠方は池畔に館を構え 八幡宮を吾が氏神として篤く祀りき 館が池の上手に当るに依りて池上氏を呼稱 この九代目の子孫が日蓮を身延から招請す 之池上康光なり

又八幡太郎義家奥羽征討の砌 この池にて禊を修し 社前に額つき戰勝祈願をなし出陣せりと伝えらる 源賴朝も亦鎌倉に上る途次 この池を過ぐるに八幡宮なるを知り 大いに喜び此処に征平の旗幟を建つる哉 近郷より将兵集まりて 鎌倉に入ることを得 旗挙げ八幡の稱あり 名馬池月を得たるも此処に宿営の折なりとの傳承あり

尚境内に武藏國随一と云われし大松ありしが 大正十三年惜しくも枯衰し今はその雄姿を見るすべもなし

古歌に「日が暮れて足もと暗き帰るさに空に映れる千束の松」と詠まれて居り 老松の偉容が想像されよう

斯の如 當八幡神社は城南屈指の古社にして亦名社なり

宮司 恵良彰紀識

境内に青い馬の大きな絵馬があったが、馬は、池月(いけづき)という名で伝説になっているのだそうだ。

池月(いけづき)発祥伝説の由来

池月とは、「宇治川先陣物語」にある名馬の名である。

治永四年八月(一一八〇)賴朝、相州石橋山の合戦に敗れて安房に逃れこの地の豪族、千葉常胤(つねたね)、上総介広常(かずさのすけひろつね)、等の参向を得参挙して鎌倉に向ふの途次こゝ千束郷の大池に宿営し八幡丸の丘を本陣として近隣諸豪の参陣を待つ、折からの皓月(こうげつ)池水に映るを賞でつる折ふし何處方よりか一頭の野馬、賴朝の陣所に向かって飛来り嘶(いなな)く声、天地をふるはすばかりであった。

郎党之を捕へて賴朝に献ずるに馬体あくまで逞(たくま)しく青き毛並に白き斑点を浮べ恰も池に映る月影の如くであつた為之を池月と命名して自らの料馬とする。

賴朝先に磨墨(するすみ)を得、今またこゝに池月を得たるは之れ征平の軍すでに成るの吉兆として勇気百倍し来れりと云ふ。士卒之を伝えて征旗を高く掲げ歎声やまざりしとか。

当八幡宮の別名を「旗上げ八幡」と稱するはこの故事による。寿永三年春(一一八四)賴朝木曽義仲を京師に攻む。義仲宇治、勢田の両橋を徹し河中に乱杭逆茂木を設けて寄手の渡を阻まんとす、この時鎌倉出陣に際し各々賴朝に乞ふて賜りたる名馬二頭の中、梶原景季(かげすえ)は磨墨に、佐々木高綱は池月に打ちまたがり共に先陣を争った。史書に云ふ宇治川先陣争いである。

池月一代の晴れの場所でこの一番乗りの功名が今に至るまで名馬の誉れを伝へてゐる。

この池月の誕生地が当八幡であって即ち池月発祥伝説の起こりである。

古くより里人の間に語り継がれ大井町線の駅名に(今の北千束駅)、また町会名にもなってゐたが、今はない。

遠き治承の昔より光芒すでに八百秋、時代の変遷と共にこの伝説の忘失を惜しみ誌して後世に伝へんとする。

なほ磨墨を葬せし磨墨塚は南馬込に現存する。

氏子青年有志による池月太鼓は即ちこの伝説を太鼓に托したものであり毎年九月の祭日に奉納されてゐる。

池月(いけづき)の
蹄(ひづめ)の音(おと)か
揆(ばち)の冴(さ)え

平成四年三月
千束八幡神社
千束風致協会

神社の境内の隣に池月の像がある。

この場所は洗足池のほとり。東急池上線に洗足駅があるが、少し離れている。大井町線には北千束駅がある。洗足池のすぐそばにある駅は北千束駅だ。読みは同じ「せんぞく」。きっと途中で読み方が変わったのだろうと調べて見ると、目黒区のページが出て来た。

目黒の地名 洗足(せんぞく) 目黒区

昔は「荏原郡千束郷」と呼ばれていたとあり、千束がもともとの地名だったようだ。

この郷名「千束」については、千束分の稲が貢祖から免ぜられていたところから名付けられたというのが定説。(中略)

なお、「千束」の一部の地域が「洗足」と書き換えられるようになったのは、日蓮が池上に向かう途中、ここの大池で足を洗ったという伝説によるもの。池畔にある御松庵の「袈裟掛の松けさかけのまつ」の伝説とともに、広く流布し、いつのころからか、「千束の大池」が「洗足池」と呼ばれるようになったといわれる。

東京都大田区南千束2丁目23−10

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