めぐろ歴史資料館 目黒区

中目黒八幡神社から山手通りに出て品川方向へ向かって走ると、めぐろ歴史資料館の看板があった。いままで知らなかったが、そんな資料館があるのか。とりあえず寄ってみよう。

建物は、廃校になった目黒区立二中の校舎を利用している。二中跡地の看板もあった。

めぐろ歴史資料館
所在地 目黒区中目黒三丁目6番10号最寄り駅 東急東横線・東京メトロ日比谷線 中目黒駅から徒歩12分 電話番号 03-3715-3571開館時間 午前9時30分から午後5時まで休館日 月曜日(ただし祝日の場合は翌日休館)、12月29日から1月3日まで

建物は中学校のままである。

入口も中学校のままであった。学校に入る機会などないから、なんか嬉しい。おまけに入場無料である。

常設展が歴史資料館のメインだ。

あまり期待せずに入ったのだが、とんでもない。とても濃い資料が揃っている。すごく面白い。この資料館が出している「めぐろの歴史と文化」によればこのように書かれていた。

目黒区めぐろ歴史資料館は、平成20年9月21日に旧目黒区立第二中学校跡地施設に開館しました。開館以来、目黒区の歴史や文化に関する資料を収集・保管するとともに、調査研究をおこない、その成果を区民の皆様に展示・公開してまいりました。

平成20年とは2008年のこと。12年前のことだったんだ。私は本当に、めぐろ歴史資料館のことをまったく知らなかった。山手通りは何度も往復しているけれど、目に入らなかったんだ。

この「めぐろの歴史と文化」は、めぐろ歴史資料館常設展示図録のことだ。よい紙を使ったオールカラー79ページで500円だった。これは1冊持っている価値がある。

常設展示を一通り見て歩いて、もともと歴史にあまり興味がない私がすごく面白いと感じるくらいなので、この資料館をつくられた方々の熱意と博識ぶりが伝わって来る。よく知っている人だけが、どのように見せたら人に興味を持ってもらえるかを考えることができる。

常設展は、6つに分けられている。

  1. 大昔の目黒
  2. 古代の目黒
  3. 中世の目黒
  4. 近世の目黒
  5. 道具にみる暮らし
  6. 目黒の歩み

一回見ただけで、縄文時代には、目黒川流域に人が結構住んでいたとか、目黒、碑文谷の地名が、もともと武士勢力だったかもしれないとか、目黒新富士に見つかった胎内洞穴の再現などいくつも興味をひかれることに出会える。

目黒新富士については記事を書いている。

目黒新富士跡
中目黒駅を降りて、山手通りを渡って右に。昔からあってお花見時には満員になる大樽側に出てたら、大樽の横の道を東横線に沿って歩き、東横線下を通る道のところで右に曲がると、駒沢通りの下を抜けるトンネルがある。 そこを抜けて、そのまま直進すると、目...

目黒新富士に見つかった胎内洞穴に、特に興味を持った。洞穴はアヤシイ。展示室内にレプリカが作られている。

「めぐろの歴史と文化」には、こう書かれている。

富士登山の帰途、富士講の人びとは、胎内くぐりをすると身の穢れをはらうことができる、と富士山の麓にある胎内洞穴をくぐりました。また、白木綿の布をたすきに掛けて胎内をくぐり、白木綿は持ち帰って産婦の腹帯にして安産を願うこともおこなわれました。

そこで、富士塚にも胎内くぐりのご利益が得られるようにと、山すそに胎内が造られましたが、穴の入口を表現しただけで、人が実際に入れる胎内はこれまで確認されていませんでした。

ところが、平成3(1991)年、「目黒新富士」の隣接地で、「胎内洞穴」が見つかりました。

地面を掘りくぼめ、関東ローム層を掘り残すようにして造られた祠や横穴、地下ホール。壁面に刻まれた掘り具の跡と富士講関係の笠印や名前、そして、祠に置かれていたはずの大日如来像が床下から発見されるなど、多くの謎も残しています。

地下ホールから横穴が再現されている。

大日如来像もレプリカだが、置かれている。

洞穴内の詳しい説明。

子供の頃、穴を掘って秘密基地をつくったものだが、なぜか洞穴はワクワクする。発掘した人たちも面白かっただろうなあと思う。

実は、寺社をまわっている時など、説明が書かれた看板は、目黒区が一番ていねいであることには気がついていた。

また、図書館についても、2000年ころまでは、世田谷区立中央図書館が区立図書館の中で蔵書が一番充実しているといわれていた。しかし、2002年頃だったか、目黒区八雲に中央図書館ができてからは、目黒区の蔵書も相当なものだと知った。目黒区は小さい区だがなかなかやるのだ。

東京都目黒区中目黒3丁目6−10

地図などはこちら。

目黒区めぐろ歴史資料館 · 〒153-0061 東京都目黒区中目黒3丁目6−10
★★★★☆ · 地域歴史博物館

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