目黒不動尊

目黒区で一番立派なお寺といえば、目黒不動尊だ。お寺の周りには商店街があって、正月や縁日はとても賑わう。東京には五色不動というのがある。東京の五色不動は、目黒不動、目白不動、目赤不動、目青不動、目黄不動の5種6個所の不動尊の総称だそうだ。近いところだと目青不動というのが三軒茶屋のキャロットタワーすぐそばにある。目白という地名もこの五色に関係があるそうだ。

目黒不動尊は、正式には瀧泉寺(りゅうせんじ)という。天台宗のお寺。山号は泰叡山(たいえいざん)。目黒区内に住んでいるならどこからでもママチャリで来られるが、渋谷駅・恵比寿駅・五反田駅からバスが出ている。東急バス・渋72系統で目黒不動尊前下車。バス停は、山門の真ん前なので便利だ。

東京を歩いていて面白いのは、江戸時代に作られたベースが今でも生きていることだ。東京は面積がとても狭いのだが、23区のそれぞれと郊外に行くとかなり雰囲気が違う。それはきっとどこの藩の土地だったかということが大きく関係しているように思う。それぞれの藩は考え方も風土も違うから狭いのに東京が広く感じるのだ。

この記事の目次

目黒不動尊は水が豊富

目黒区には目黒川が流れているが、川なのでその場所は土地が低い。東横線に乗ると代官山からも祐天寺からも下っていくのが目黒川が流れる中目黒だ。目黒不動尊からも目黒川は近いから土地が低い。そのおかげでこの場所は湧水にめぐまれている。

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目黒不動尊の山門近くには、池があって鯉や亀が泳いでいる。山門をくぐると、水垢離をする行場がある。

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山門の手前にはこんな看板がある。

瀧泉寺(りゅうせんじ 目黒不動尊)

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天台宗泰叡山(たいえいざん)瀧泉寺は、大同3年(808)に慈覚大師が開創したといわれ、不動明王を本尊とし、通称「目黒不動尊」と呼び親しまれています。

江戸時代には3代将軍徳川家光の帰依により堂塔伽藍(どうとうがらん)の造営が行われ、それ以後幕府の厚い保護を受けました。また、五色不動(目黒・目白・目赤・目黄・目青)の一つとして広く人々の信仰を集め、江戸近郊における有名な行楽地になり、門前町とともに大いに賑わいました。

さらに江戸時代後期には富くじが行われるようになり、湯島天神と谷中の感応寺と並んで「江戸の三富」と称されました。

境内の古い建物は戦災でその大半が焼失しましたが、「前不動堂」(都指定文化財)と「勢至(せいし)堂」(区指定文化財)は災厄を免れ、江戸時代の仏堂建築の貴重な姿を今日に伝えています。

その他、境内には「銅造役の行者倚像(えんのぎょうじゃいぞう)」、「銅造大日如来坐像」(ともに区指定文化財)があり、仁王門左手池近くには、「山手七福神」の一つの恵比寿神が祀られています。

裏山一帯は、縄文時代から弥生時代までの遺跡が確認され、墓地には甘藷(かんしょ)先生として知られる青木昆陽(こんよう)の墓(国指定史跡)があります。

平成21年3月

目黒区教育委員会

今は大した水量はないが、土地が舗装されていない昔は、結構な水量があったのではないかと思う。この場所に立つと、何か気持ちがよい。

実は、このブログにお寺や神社の記事を増やすきっかけになったのは、桜井識子さんの本をたまたま見つけて読むようになってからだ。目黒不動尊にも来られたようで、こんな記事を書かれている。

この方の書かれる記事はいつも暖かい感じがする。

桜井識子『目黒不動尊(瀧泉寺)』
昨年、ご開扉をされていた時期に行きました。  正確に言うと、ご開扉の期間には、どうしても行くことができなかったのですが、読者の方から、「ご開扉期間が延長されま…

目黒不動尊でレコーディングしたCD

つい最近、目黒不動尊でレコーディングしたCDを発見した。Dive into silenceというタイトルだ。マリンバ奏者フランソワ・デュボワさんは太極拳も修行されている方らしい。

太極拳の本は、太極拳が教えてくれた人生の宝物~中国・武当山90日間修行の記 (講談社文庫) というタイトルだが、どうやら現在絶版らしい。図書館で借りられるのがよいのかな。

レコーディングの記事があった。

ブログ一覧ページ | Francois Du Bois | Official HP
天才音楽家フランソワ・デュボワ | Francois Du Bois公式ホームページ。アーティスト、著述家、起業家。東京在住フランス人。

CDは早速、買って聞いてみた。目黒不動尊らしい音が随所に入っているけど、日本人が企画したCDではないのがよく分かる面白い2枚組のCDだった。

1枚目はわりと伝統的なのだが、2枚目は実験的な感じ。ただ、全般的に打楽器の音楽のような雰囲気があるので飽きてしまうような感じはしない。打楽器って普遍的なんだなと思った。

不思議な旋律のマリンバの音を聞いていると、ガムランの竹の音をなんとなく思い出す。

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手水もみんな湧水で今日みたいな暑い日にはかなり冷たく感じる。ただし、飲用は不可だそうだ。

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石段横には水かけ不動明王がある。私もいつも水をかけている。

横には看板がある。

當山の開基は天台座主第三祖慈覚大師圓仁(えんじん)で、一千二百有余年前の大同三年(八〇八)大師自らご本尊を彫刻し安置されたことに創まります。

天安二年、大師が法具『獨鈷(とっこ)』を投じて堂宇造営の敷地を卜されたところ、泉が忽ち湧出。涸れることのないその瀧泉は『獨鈷の瀧』と称されました。

大師はお堂の堂札に「大聖不動明王心身安養呪願成就瀧泉長久」と認め「瀧泉寺」と号され、「泰睿」の勅願を賜りし清和の御代に「泰叡山」が山号と定められました。

春に花、夏に瀧しぶき、秋紅葉、冬積もる雪と、関東最古の不動霊場は四季折々の風情が輝き、善男善女の心にやすらぎをもたらします。

『獨鈷の瀧』は不動行者の水垢離場となり、江戸幕末には西鄕南州翁が薩摩藩主島津斉彬公の當病平癒を祈願されました。

目黒不動尊御詠歌

清らけき 目黒の杜の獨鈷瀧 災厄難を除ける不動尊

ここに、身代わりで瀧泉に打たれてくださる「水かけ不動明王」が造立され、より清らかな心と身で目黒のお不動さまに参詣できることとなりました。

合掌礼拝して『獨鈷の瀧』の霊水をかけ、洗心浄魂されて、大慈大悲の不動明王と大願成就のご縁をお結びください。

平成八年五月吉日

目黒不動尊別當 泰叡山瀧泉寺

本堂へは石段を登る。大田区池上には大きな本門寺があるが、本門寺の石段は長い。それのミニチュアのような規模だ。暗い石段を登って視界が開けると本堂が見えるというのは、ちょっとした演出のように感じる。

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2017年山王大鳥居が建った

昨年、目黒不動尊の石段を上ったところに鳥居が建てられた。

もともと神仏習合の寺院であったと書かれている。調べてみよう。

本堂はなかなか立派だ。商店街もあわせて考えると、さぞかし江戸時代は賑やかだったんじゃないかと思う。

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JAPAN ロバート・ブルーム画集(芸術新聞社 2015)には1891年にスケッチされた目黒不動尊の本堂が載せられていた。今のように石段を何段も登っていく本堂とは違っている。

JAPAN ロバート・ブルーム画集 | 芸術新聞社公式サイト
江戸の香りが色濃く残る日本を描いた、アメリカ人画家。 日本を愛した明治初期の画家ロバート・フレデリック・ブルーム、待望の初画集。

銅造大日如来坐像

本堂の裏には、大きな大日如来像がある。

銅造大日如来坐像

区指定文化財(昭和59年3月31日指定)

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蓮華座(れんげざ)に結跏趺坐(けっかふざ)しているこの坐像は、宝髪、頭部、体躯、両腕、膝等十数か所に分けて鋳造し、これを寄せて一体とした吹きよせの技法で造られています。

総高383cm、座高281.5cm、頭長は121cmで、体躯にくらべ頭部を大きく造るのは大仏像共通の特色であり、面相も体躯も衣文表現もよく整っています。

現在は露座となっていますが、『江戸名所図会』の「目黒不動尊」の挿図より、江戸時代には堂舎の中にあったことがわかります。

台座の蓮弁には開眼の年、入仏開眼供養の際の導師や僧侶の歴名が刻まれると共に、多数の施主名と供養者名が見えることから、大衆による造像だったことがうかがえます。

また、刻銘から制作年の天和三年(1683)と、制作者が江戸に住む鋳物師横山半右衛門尉正重であることがわかることも貴重です。

平成21年3月

目黒区教育委員会

地主神、大行事権現

さらに大日如来像の裏には地主神、大行事権現と書かれた鳥居がある。

祠のすぐ後ろにあるこの石柱にはどんな意味があるのだろう。かなり高さがある。

境内からは見晴らしがいい。ただ、目黒不動尊境内と目黒通りとどちらが標高が高いのかというとどっちだろうね?このあたりは目黒川が近いから標高はかなり低い。

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役行者

女坂の途中に少し上がるように、銅造役の行者倚像(えんのぎょうじゃいぞう)がある。

ウイキペディアによると、役行者はこのように説明されている。リンク先を読んでいただくともっと長くて詳しい説明がある。

役 小角(えん の おづの /おづぬ /おつの、舒明天皇6年(634年)伝 – 大宝元年6月7日(701年7月16日)伝)は、飛鳥時代の呪術者である。姓は君。 修験道の開祖とされている。(出典

銅造役の行者倚像(えんのぎょうじゃいぞう)

区指定文化財(昭和59年3月31日指定)

役の行者(役小角えんのおづのともいう)は奈良時代の山岳修行者で、修験道の祖として崇拝されている人物です。この造は寛政8年(1796)の作で、総高142.2cm、坐高92.7cmです。

やや痩せ形の神秘的な面相、均整のとれた体躯(たいく)や手足の表現、法衣や袈裟(けさ)の衣紋(えもん)のしわなどもとても巧みで江戸時代の銅像彫刻として優れた遺品の一つです。

表面は黒光りしており、これは鋳工の間でカラス銅と称される銅色です。頭巾を山高にかぶり、木の葉の肩衣をかけ、右手には錫杖(しゃくじょう)を、左手には巻子(かんす)を持っています。

また、像の腹部、胸部、腕部等に刻銘があり、そこから願主の名や、神田に住んでいた鋳工太田駿河守藤原正義の制作であることがわかります。

平成21年3月

目黒区教育委員会

独鈷の滝と水垢離堂

石段の左には水量豊富な独鈷の滝があり、その横には水垢離堂がある。

独鈷の滝の説明があった。

独鈷(とっこ)の滝

このお滝は今を去る千二百年程前、当山をお開きになった慈覚大師円仁が堂塔建設の敷地を占って、ご自身が持っていた独鈷を投げたところ、忽ち滝泉が湧き出したので之を独鈷の滝と名付けられた。それより今日迄どんなに旱天が続いても涸れることもなく、滔々と落ちており、長く不動行者の水垢離の道場として利用されてきた。

今日都内では大変珍しい名所である。

当山

龍泉寺前不動

水垢離堂の左横には石段があり、それを上ると龍泉寺前不動がある。

これは東京都指定有形重要文化財だ。

東京都指定有形文化財(建築物)

龍泉寺前不動堂(りゅうせんじまえふどうどう)

所在地 目黒区下目黒三-二〇-二六
指定 昭和四一年三月三一日

泰叡山龍泉寺は、通称「目黒不動尊」と呼ばれており、大同三年(八〇八)、慈覚大師円仁の創建と伝えられる天台宗の寺院です。境内にある前不動は、江戸時代中期の建築になり、『江戸名所図会』にも、現在地付近に「前不動」として図示されています。前不動は龍泉寺本堂手前の男階段左下にある、独鈷の滝の左崖下に建立され、堂内には木造不動明王三尊立像等を安置してあります。江戸時代中期の仏堂建築として、比較的良く往時の姿を保っています。建造物と併せて、扁額「前不動」も附として指定されています。この扁額には「佐玄龍書」の署名があり、堂建立当時のものと推測されています。筆者の佐々木玄龍は、通称万二郞、池庵を号していました。慶安三年(一六五〇)、江戸に生まれ、書風一家をなし、享保七年(一七七二)に亡くなり、墓標は青山墓地にあります。

平成二二年三月 建設

東京都教育委員会

北一輝先生

北一輝は名前しかしらなかった。ここに石碑がある。

石碑の文字は薄くて読めない。柵があるのでそばに行けなかった。

北 一輝先生

この碑は北一輝先生の顕彰碑で大川周明氏の文によるものです。

先生は明治一六年、佐渡ヶ島に生れた憂国の士で、大正デモクラシーの時代中国に渡り、中国革命を援助し又日本改造論を叫び、国家主義の頭目として、特に陸軍の青年将校を刺激し多くの信奉者を得た。

時適々満州事変前後より先生の思想はファシスト化し、遂に二・二六事件を惹起する要因になった。勿論直接行動には参加しなかったが、首謀者として昭和十二年銃殺刑に処せられた。然し先生の生涯をさゝえたものは奇くも法華教の信仰であったことは有名である。

毎年八月十九日の祥月命日には今も尚全国の有志が追悼法要を厳修している。

当山

北一輝についてはウイキペディアに解説があった。

龍泉寺勢至堂

その隣にはまた石段を上った所にお堂がある。

龍泉寺勢至堂という。

龍泉寺勢至堂(りゅうせんじせいしどう)

区指定文化財(昭和59年3月31日指定)
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龍泉寺勢至堂は江戸時代中期の創建とみられ、勢至菩薩像が安置されています。建築各部にわたって後世の改変が甚だしいですが、全体的な形姿や細部絵様に優れた意匠の特質を保存しており、その姿に寛永中興期の龍泉寺の面影を残しています。

向かって右の前不動堂(都指定文化財)との関連をみると、勢至堂は前不動堂より建築意匠城の格は低いものの、細部に類似性が見られることから、勢至堂は前不動の建立からそれほど時間のたたない内に、前不動堂を意識して造営されたと推察できます。

現在の場所は創建当初からのものではなく、以前は前不動堂の前方にありましたが、昭和44年に行われた前不動堂の修理後に移されました。今では南斜面の緑の中に溶け込み、龍泉寺境内の優れた景観を形成しています。

平成21年3月

目黒区教育委員会

作曲家本居長世の碑

この碑のことは注意して見たことがなかった。ウイキペディアの本居長世を読むと、お近くにお住まいだったそうだ。本居宣長の子孫だ。

童謡作曲家だったそうだ。

童謡は第一流の詩人が子供のために詩を書き第一流の音楽家が曲を付けた世界に誇る日本の児童文化財です。本居長世は音楽学校で中山晋平、弘田龍太郎を教えるかたわら「七つの子」「青い目の人形」「赤い靴」「めえめえ小山羊」「お山の大将」のような作品を自身作曲して世に送りました。ことに大正九年、野口雨情の詩に作曲した「十五夜お月さん」はいかにも日本的な旋律に変奏曲的な伴奏を配したもので、この種の先駆的作品として重んじられました。本居はこれらの曲を作ったころ、この目黒不動のすぐ隣に住んでおり、月の夜この寺の境内を散歩しながら想を練ったことでしょう。

今ここに氏の曲の碑を建てて、氏の功績を記念したいと思います。

本居長世を慕う会
童謡の里めぐろ保存会

昔、猫がいた

昔の話だが、2005年頃まで目黒不動尊には何匹か猫が住んでいた。お寺に猫がつきものなのは豪徳寺だけの話ではない。その中に主(ぬし)みたいな太ったメス猫がいて、参拝客にとてもかわいがられていた。

動じない猫で、犬が来ようが人がさわろうがまったく関係ないという態度なのだ。その割に顔がかわいかった。みんなよく写真を撮っていた。

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初詣に行ったときにその猫を探すと、隠れてしまわないで人前にいるのだが、簡単にさわれない場所に座っていた。さすがに入れ替わり立ち替わりさわられるのは嫌なのだろう。その姿もかわいくて初詣客の人気者になっていた。こんな感じでずっと座っていたのだ。みんなカメラを向けていた。

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いつもごはんをあげているおばさんが来ると、短い尻尾を立てて張り切って歩き出すのもおかしかった。ところがある日突然いなくなり、それ以来、境内で猫を見ることがなくなってしまった。

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毎月28日が縁日

毎月28日は縁日だ。元旦ほどではないが、屋台が出る。昔は植木屋さんが多かったが、最近は定番のたこ焼きや今川焼きなど飲食屋台が中心で、射的やスマートボールも出るから、近所の子供達に人気だ。夜までやっているが、縁日は1日限りだから20時を過ぎれば撤収を始めるので、早く行かないと雰囲気は味わえない。

縁日の様子は改めて撮ってきました。毎月28日は目黒不動尊の縁日ですという記事で雰囲気を感じてください。

毎月28日は目黒不動尊の縁日です
目黒不動尊には土日のどちらかだがよく行く。毎月28日は縁日なのだが、前にいつ行ったのか覚えていないくらいご縁がなかった。 ふと、今日、縁日のことを思い出して19時前に行ってみた。暗くなる前だったが、最後の護摩祈祷が終わる前だった。日曜日は、...

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商店街も縁日は人が多く、お店の前に臨時の売り場ができていてお店もかき入れ時だ。肉屋さんやおでん屋さんはかなり元気がある。

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目黒のタケノコ

江戸時代、孟宗竹が品川に植えられ、タケノコ栽培が始まったそうだ。やがて産地は目黒や世田谷にも広がったそうだ。目黒はタケノコの産地だった。

江戸東京野菜 物語篇(農山漁村文化協会 2009)にはこんなことが書かれていた。

その後、産地は品川から目黒、世田谷に拡大していく。江戸から東京にかけての時代、特に”目黒のタケノコ”は有名になった。

それは産地の近くにある目黒不動尊の山門前で、4月中旬から5月中旬の頃、大黒屋、内田屋、角伊勢などの料理屋が幟(のぼり)を立ててタケノコ飯を食べさせたからで、江戸郊外まで脚を伸ばし、タケノコ飯を楽しむ人で店は賑わったという。

この目黒不動尊のタケノコ飯、多くの文人墨客が賞味している。正岡子規は明治35年(1902)に「筍や目黒の美人あるやなし」と詠んでいる。

当時、タケノコを食べると顔のつやがよくなって美人になるなどと喧伝(けんでん)されていたことにかけて、皮肉っぽくそう詠んだようだ。

目黒不動商店街

さて、山門を出て商店街を歩いてみる。商店街は、山手通りに向かって下り坂だ。この界隈に来るようになったのは20年以上前からだ。昔は本当に古い商店街だったが、少しずつ変わっている。ずっと変わらないのは、にしむらの八目鰻だ。

八ツ目や にしむら 目黒店 (やつめや にしむら) - 不動前/うなぎ | 食べログ
八ツ目や にしむら 目黒店/やつめや にしむら (不動前/うなぎ)の店舗情報は食べログでチェック!店内でのお食事はお休みしてます 【禁煙】口コミや評価、写真など、ユーザーによるリアルな情報が満載です!地図や料理メニューなどの詳細情報も充実。

いつ行っても行列ができている。このお店は、この商店街のシンボルだと思う。

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今日しばらくぶりにゆっくり歩いて若返りが進んでいるのが分かった。縁日と正月以外はそれほど混み合う印象がないのと、東急五反田線の不動前駅から歩くと少し時間がかかるからそれほど家賃は高いとは思えない。平日は、近所の人たちがお客さんだ。

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それでもアウトドアショップができたり、看板を見ると明らかに若い人がやっている店ができていたり、20年ぐらい前の中目黒の商店街の雰囲気を感じる。これからどんな風に変わるのだろう。

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ヨガスタジオと自然食系の八百屋さんだろうか。

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とても狭い面積で営業しているカレー屋さんや、その隣で夜は昔の名画を上映している飲み屋さんがあったりしてなんとなく楽しい。いつも現在を変えていくのは若者の力だ。

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目黒不動尊へのアクセス

バスなら東急バスに乗れば山門前まで行ける。

渋72系統 大鳥神社前 恵比寿駅前経由 渋谷行き
渋72系統 桐ヶ谷経由 五反田駅行き

渋72[東急バス]のバス路線図 - NAVITIME
渋72のバス路線図を地図に表示します。停車バス停や、同じバス停を通る別路線/系統も確認できます。

徒歩で行く場合は、東急目黒線不動前駅が最寄りの駅になる。

山門横のバス停

初詣

大晦日から元旦にかけてはお店が出て朝まで人が並んでいる。ただし、かなり混み合う。

2016年の1月4日に行ってみた。もう混雑は落ち着いていたけれど、「のぼり」「くだり」の表示で元旦はさぞかし混雑していたんだろうなと思うね。

2016年初詣
目黒不動尊 泰叡山 瀧泉寺
東京都目黒区下目黒3丁目20-26

地図などはこちら。

瀧泉寺 · 〒153-0064 東京都目黒区下目黒3丁目20−26
★★★★☆ · 仏教寺院

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