祐天寺駅前通りから五本木通りを走り、蛇崩の信号の所で、野沢通りに乗り換えて山手通りに向かって走ると、すぐに左手に寿福寺への長い参道がある。おっ、と声を出してしまうくらい雰囲気がある。
早咲きの桜が散ったあとなのか?地面がピンクに染まっている。
山門は意外と小さいが、周辺の空気の整った感じがすごいなと思った。山門前にはお地蔵さんがいらっしゃる。
山門右横に案内板があった。
壽福寺
上目黒5-16
「新清山観明院壽福寺」といい、天台宗でご本尊は阿弥陀如来です。元和元年(1615)鳳算大阿闍梨(ほうさんだいあじゃり)が創建されたものと伝えられていますが、当境内にある鎌倉時代の板碑から、草創はさらにさかのぼるものと推定されます。この寺は、享保の頃(1716~1735)中興の英主といわれる孝順大和尚のとき、上野護国院の末寺として大いに栄えました。
現在の本堂は、昭和50年に、建替えられましたが、それまでの本堂は明治13年に行人坂の明王院念仏堂を移建したもので、その「念仏堂」の由緒ある扁額(へんがく)は今も掲げられています。また本堂には木彫彩色の青面金剛立像(しょうめんこんごう)が安置されています。
門前には相生(あいおい)地蔵と呼ばれ信仰されている2軀(たい)の延命地蔵尊や庚申塔などが立っています。また、宿山の烏森稲荷は元禄の頃(1688~1703)に当寺境内の稲荷社を移したものです。
平成5年3月
目黒区教育委員会
行人坂の明王院念仏堂とは、行人坂にある大円寺のことではない。現在の目黒雅叙園の建っている場所にかつてあったお寺だ。大円寺の案内板を読むといろいろ知ることができる。
また、近くの烏森稲荷はこの境内にあった稲荷社だったとある。
境内に入ってみた。
左を見ると、またお地蔵さん(?)なのか。何となくどこからか移されてきたようにも見えるのだが、説明看板がなかったのでわからない。
本堂は閉まっていてお賽銭を入れられなかった。
これが案内看板に書かれていた念仏堂の扁額だ。
本堂の左には竹林があった。目黒区は江戸時代、タケノコ栽培が盛んだったのである。
東京都目黒区上目黒5丁目16−6
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