駒沢公園から駒沢通りを日体大方向に向かって走り、深沢不動前を左折して、駒沢公園通りを走る。東京都市大学等々力中高の校舎の前を右折、上野毛通りを上野毛に向かって走る。天祖神社前の信号右が、中町天祖神社だ。
道沿いに鳥居がある。立派な灯籠もあるのだが、案内板はなかった。
鳥居をくぐると、意外と参道が長い。もともと境内の敷地がもっと広かったのかもしれない。
手水舎。よく掃除されていた。湧き水ではないと思うが冷たい水だった。
左の狛犬さん。
右の狛犬さん。
境内に入ると、左に神楽堂があった。
こんな感じで境内は広い。右には社務所があるが、閉められていて無人だった。
本殿は小さくはないが大きくもないという感じだ。どこにも案内がないのでどんな神様が祀られているのか分からない。ちょっともったいないね。
せたがや社寺と史跡(その二)にこのように書かれていた。
天祖神社
祭神は天照大神・倉稲魂神(稲荷さま)で,玉川村野良田(現在の玉川中町)の鎮守氏神として古くから鎮座していたが,由緒は不明である。
『新編武蔵国風土記稿』に「神明社除地二反歩,村ノ鎮守ナリ。祭礼ハ九月二十二日,当村金剛寺ノ持ナリ」とあり,古くは神明社と呼ばれ,すぐ近くの金剛寺が管理していたようである。
当神社保存の『祭礼費勘定長』によれば,天保10年(1839)より明治34年10月までの祭礼費収支を記入してあり,神社名も慶応4年(1968)9月までは神明宮と称し,その後改名され,明治7年10月には天祖神社と明記されてある。
境内の末社として,祓戸神社,阿夫利神社,日枝神社が祀られ,祓戸4柱神,大山祇命,大山昨命がそれぞれ祭神である。
本殿向かって左側の稲荷神社の石柱に「奉納弁才天燈明台,為蚩民豊楽,五穀成就也」,「宝暦六丙子天二月吉辰,武州荏原郡世田谷領野良田村願主糟谷某,臼井某(名省略)」と刻まれてあり,この当時より野良田の鎮守として,また,五穀豊穣を祈る氏神として崇拝されてたことがわかる。
祭礼は毎年10月2日に行なわれ,氏子や中町近在の人々が集まり賑わっている。
当神社の由緒書に「境内は国有地五百二十八坪なり」とあり,昭和32年ごろまで本殿の周囲は雑木林や雑草におおわれ,広々とした鎮守の森の姿をとどめていたが,都市近郊の住宅地化にともなって,その雑木林も住宅地の一部となり,昭和36年ごろに現在の社務所・神楽殿も新築,参道左側には区立遊園地もつくられ,天祖神社のもとのおもかげは一新されている。
本殿左横には、今月のことばが貼られていた。斎藤茂太さんは北杜夫のお兄さんで精神科医だった方だ。久しぶりにお名前を聞いたような気がする。
本殿左に末社があったが、日枝神社と阿夫利神社と書かれていたが、祀られているのが蛇なのだ。思わず足が止まってしまった。
私は以前、茅場町の日枝神社に毎月参拝していたのだが、蛇との関わりは聞いたことがなかった。なぜなのかわからない。
社務所が立派なのに締め切ってあるのはもったいないなと思った。
東京都世田谷区中町3丁目18−1
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